その日まで…
「え、あ…ごめんなさい。明日は……」
口ごもり、望美が目を泳がせてしまう。
弁慶は、眉を顰め……どこか様子のおかしい望美をじっと見つめた。
望美の様子がおかしい。
そう気付いたのは、月も2月に変わろうかという頃だった。
急にそわそわとし始め、弁慶の言葉にも上の空。
名を呼んでみれば、びくりと肩を震わせて……また視線を逸らしてしまう。
そして今日も……
平日は学校のある望美と共に過ごす時間は少ない。
だから、休みの日だけでも……と、できる限り共通の時間を持とうとしていた。
……だというのに、日曜日の誘いを、望美は断ったのだ。
それは、この世界に――望美のいる場所へと残る事を決めて以来、多分、初めてのこと。
さすがに、不安が胸を過る。
――何だというのだろう…一体……
どうやら、望美はどこかへ一人で出掛けてしまったらしい。
何かを知っているらしい有川兄弟は、理由を黙秘したままで教えてくれそうにない。
ふむ…と、弁慶は考え込む。
「そういえば……」
街中が、どこかクリスマスの頃と似通った賑わいを見せていることを思い出した。
――確か…「バレンタイン」と言いましたっけ……
気になって調べてみると、それが、想いを寄せる人への贈り物をする日だということが分かった。
ならば、そのための準備でもしているのだろうか……
それなら、ここ数日の望美の様子も分かるような気もする。
「あれ?何してんだ、弁慶。」
不意に声を掛けられて振り返ると、不思議そうな顔をした将臣がこちらを見ていた。
「ああ、将臣くん。」
「一人か?――って、ああ。そうか。」
にやり…と笑みを浮かべた将臣が、弁慶の見ていた先――望美の家の方角へと視線を向けた。
「振られちまったのか?」
「ええ、残念ながら……一人でどこかに出かけてしまったみたいです。」
ふぅん…と小さく呟いて、将臣が弁慶の肩を叩いた。
「ま、少なくとも命の危険は回避してやったからな。」
「は?」
やはり、彼は何かを知っているのだろう。
じっと将臣を見て、弁慶は先程至った考えを口にした。
「それは――『バレンタイン』というものと関係があるんですか?」
軽く目を瞠り、そして将臣は頭を掻いた。
「それもあるけどな、まあ、それだけじゃないというか……」
「将臣くん?」
「あ~、これ以上は聞かないでくれ。」
スマン、と口走り、将臣は逃げるようにその場を後にした。
呼び止める間もなく去ってしまった将臣に、弁慶は首を傾げる。
――それだけじゃない…?
では、何だというのだろう。
思考が同じ場所を回っている気がした。
考えても、答えに行きつかない。
やはり……慣れない異世界のことは、少し分が悪かった。
* * *
翌日も、そしてその翌日も……
学校が終わってからの時間すら、望美は空けてくれなかった。
ほんの少しだけでも…と思っても、まるで避けられているように、望美からの返事はそっけない。
――望美さん……
さすがに、そろそろ限界だと思い始めたその夜。
突然、電話が鳴った。
画面を見れば、このところ声もまともに聞かせてくれなかった愛しい少女の名前。
一瞬躊躇し、弁慶はボタンを押した。
「はい……」
自分でも分かる程に不機嫌な声。
一瞬、電話の向こうで望美が言葉に詰まったのが分かった。
大人げないとは思う。
けれど、この世界に残ってひと月余り……
唯一である望美に置かれてしまった距離は、正直、かなり堪えていた。
「ごめんなさい。」
小さな謝罪の言葉が聞こえた。
そして、続いて聞こえてきたのは、緊張したような少し固い声。
「折角、弁慶さんが誘ってくれてたのにずっと断ってて、本当にごめんなさい。」
「望美さん?」
戸惑うように少し言葉に詰まった少女を、名を呼んで促す。
電話の向こうで、大きく深呼吸するのが聞こえてきた。
「あ、あのね、弁慶さん。」
「はい。」
「11日と14日、なにか予定ありますか?」
弁慶は、一瞬耳を疑った。
望美の方から、こういう連絡を入れてくることは、これまでなかったのだから……
「……だめ…ですか?」
「あ、いえ。大丈夫ですよ。」
少し呆然としたまま答えれば、聞こえてきたのは安堵の吐息。
小さく、よかった…と呟くのが聞こえた。
「じゃあ、どちらも一日中一緒ですよ!!」
嬉しそうな声。
けれど、弁慶は首を傾げた。
――14日というのは確か『バレンタイン』か……では……
「あの、望美さん。」
「はい。」
どちらも休日だというのは暦を見れば分かる。
けれど、なぜ……
「14日は分かります。でも11日はどうして……?」
「あっ!」
望美が小さく声を上げた。
そして、暫しの沈黙の後…………
「それは、当日のお楽しみですっ!」
そうとだけ告げて、ぷつり…と電話は切れてしまった。
それだけではない。と、意味ありげに言った将臣。
そして、当日のお楽しみだとだけ言って電話を切ってしまった望美。
切れてしまった電話を見つめながら、弁慶は首を傾げた。
数日後に待ちかまえている、驚きと幸福を未だ知らぬままで……
「僕の心をこれ程まで揺るがせてしまうとは――君は、本当にいけない人だ……」
不敵に微笑んだ人に、二度と今回のような企みはしないでおこうと望美が胸に誓うのは……また別のお話。