コイワズライ
追いかけて、追いかけて。
届かぬ想いを携えて。
恋しいと…
愛しいと…
全身を蝕むのは、熱病にも似た感情。
眠れぬほどに募る…想い。
昼下がり。
穏やかに過ぎてゆく時間。
戦と戦の合間の…ひとときの休息
望美は、色付き始めた庭の木々を視界の端に映しながら歩いていた。
ただ、真っ直ぐ。
目的の場所に向かって。
何度も辿った時間。
幾度目かの春に知った、秘密の部屋。
人の住処とは思えないほどに物の詰まった…場所。
僅かに戸が開いている。
微かに、書を繰る音がするから…きっと彼は在室しているのだろう。
「弁慶さん」
ひょい、と顔を覗かせて、望美は遠慮がちに声を掛けた。
「おや、どうかしましたか?」
手にしていた書物を床に置き、振り返る顔に浮かぶ優しい微笑みが憎らしい。
足元に散らばる…本人曰く「分かるように置いている」…本の山を避けながら、望美は、弁慶の傍まで寄ってゆく。
こうやって避けて歩くのも、幾度も巡った時空の中で、いつの間にか身についてしまっていた。
唯一の、人の座れる部屋の中央付近。
文字通り膝を付き合わせる距離に、望美は腰を下ろした。
「ちょっとお薬貰いたくって…」
苦笑を浮かべて告げると、眉を顰めた弁慶が、心配げな瞳で望美を見つめた。
「具合でも悪いんですか?」
問い掛けながら、望美の顔色を診る。
「…その……眠れないって言うか……」
「それはいけませんね」
薬師の顔になって、額に、首筋に、手首に触れる。
それが、少し悔しい。
ただ、熱を…脈を測るだけの、彼の「薬師」の手が、悔しい。
「何か心配事でもあるんですか?」
そうやって、聞いてくることが憎らしい。
少し考え込み、弁慶は傍らの薬箱に手を伸ばした。
「とりあえず、気持ちを落ち着ける作用のある薬湯を煎じますから、寝る前に飲んで……」
「違うんです。」
弁慶の言葉を遮り、望美が言葉を発した。
「え?」
いきなり掴まれた袖。
視界が翳ったように感じて、弁慶は驚いて振り返った。
視界の端で、さらり…と紫苑の長い髪が零れるのが見えた。
両頬を包むのは、しっとりと温かな熱。
至近距離には、閉じられた瞼を彩る長い睫毛。
今、唇に触れている柔らかなものは……一体……?
一瞬何が起きたか分からず、弁慶は、目を瞠り呆然とした。
ゆっくりと唇が離れ、瞼の向こうから現れるのは翡翠の瞳。
「薬湯なんていらないです。」
大人びた笑みを浮かべて、望美が告げた。
「なにを…」
鼓動が跳ねる。
思考が停止…する。
今、この少女は何をした?
「望美さん?」
「弁慶さんから、おんなじことしてくれたら、きっと治ります。」
先程、触れて離れていった少女の唇が、言葉を紡ぎだす。
同じこと…ということは、くちづけをしろ…というのか…?
目の前で微笑む、清らかな少女に?
この罪を背負った…穢れた身で?
「私…弁慶さんのこと考えたら、どきどきして眠れないんです。」
「え……?」
微笑みながら望美が手を伸ばす。
両掌で弁慶の手を包み込む。
伝わってくる温もりを、愛しいと思う。
それは、ずっと想っていた事。
けれど…許されないと秘していた感情。
ゆっくり、ゆっくり……
解かれてゆく…堅く閉ざしたはずの錠。
「お医者さん……薬師にも治せないって言うけど……
弁慶さんなら、きっと治せます。」
否、弁慶にしか治せない。
「だって私…恋の病に罹ってしまったから……」
望美はにっこりと微笑むと、自分を蝕む病の名を告げた。