初午の稲荷詣【遙か3/弁望】 2007年10月18日 遙かなる時空の中で3 0 京ED後 薬師夫婦 弁慶と共に伏見稲荷に出掛けた神子の不思議な体験…みたいな話。 初午の稲荷詣 「明日、伏見稲荷まで出かけませんか?」 「え?」 如月に入って数日が経ったある夜。 望美の突然の申し出に、弁慶は驚いて、その顔を凝視してしまった。 「伏見稲荷…ですか?」 「はい。」 首を傾げる弁慶へ、望美は事の次第を説明し始めた。 「今日、お野菜を届けてくれたおばさんが教えてくれたんです。明日は初午だから、みんな、伏見稲荷にお参りしに行くんだって。」 「ああ。それでですか。」 得心がいって、弁慶は頷いた。 「けれど、君が物詣でをしたいと言い出すなんて、珍しいですね。」 「……というか、お弁当持って…弁慶さんと一緒に出かけたいな…って思ったんです。ご近所の方も、物見遊山気分で出かけるんだって、言ってたから…」 「なるほど。それもいいかもしれませんね。」 優しい微笑みに、望美もつられて笑顔になる。 「折角のお誘いですから、お供いたしましょう。」 「やったぁ~!」 子供のようにはしゃぐ望美に、弁慶は思わず苦笑を浮かべた。 「準備はいいですか?」 「はいっ!」 元気よく返事して、望美は足元に用意した荷物を指差す。 「お弁当オッケー!水もオッケー!完璧です。」 「じゃあ、行きましょうか。」 弾む足取り。 久しぶりの遠出だ。 冬のちょっとしたピクニック…そんな心持ちで、望美の心は躍る。 何より…… 「君と一緒に出かけるなんて、久しぶりですね。」 「はいっ!」 言ってみれば、いつも仕事で忙しくしていて…あまり一緒にいられない弁慶とのデートなのだ。嬉しくないわけがない。 昨晩は、遠足の前夜のように…わくわくして眠れなかった。 伏見稲荷は、思っていた以上に参詣客が訪れていた。 貴賎問わずに人が溢れている。 「わぁ~すごい…」 「迷子にならないでくださいね。」 言って、弁慶は望美の手を取った。 「女性を口説くために来ている者も多いと聞きます。絶対に僕から離れてはいけませんよ。」 「は、はい!」 語らいながら歩く鳥居の下。 所々に、足を休める参詣客の姿。 杖をつきつき、ゆったりと歩く老人。 元気いっぱいに走ってゆく子供。 仲間同士、話しながら歩く男たちや女たち。 先程、弁慶が言っていたように…女性を口説く男たちの姿も見受けられた。 「よかったぁ……」 「何がよかったんですか?」 弁慶に尋ねられ、望美は苦笑を浮かべて答えた。 「戦が終わって、体鈍ってたらどうしよう…って思ってたから……」 「時々、鍛錬…しているんでしょう?」 望美が、時々、剣の稽古をしているのを、弁慶は知っていた。 「もう、戦うことなんてないって分かっているんですけど……他に運動する方法が思いつかなくって…」 「身を守るのには役に立ちますから、いいんじゃないですか?」 大きな戦が終わったとはいえ、まだ、治安はよいとはいえないのだ。 「……それでも、色んなところを歩き回っていたあの頃に比べたら、本当に、歩かなくなってましたからね…私。」 「なら……」 振り返り、弁慶が微笑みながら提案する。 「薬草を取りに行く時は、もっと一緒に行くようにしましょうね。」 「はい!」 早朝から出向いた者たちが、山を下ってくる。 近所の人の姿もあって、挨拶を交わしながら、ゆっくりと上ってゆく。 繋いだ手から伝わってくるぬくもり。 望美は、ふと天を仰いでみた。 「うわぁ~」 思わず声が漏れる。 ほとんど隙間なく建てられた朱色の鳥居は、見上げると壮観だった。 「望美さん。」 声を掛けられ、視線で促されて…上ってきた道を振り返ると…… 「凄い……」 どこまでも続く赤い道。 そこは……とても不思議な空間だった。 「あれ?」 ふと向けた視線の先。 鳥居と鳥居の隙間から…白い狐の姿が見えた。 「弁慶さん、あそこに白狐が……」 「え?」 足を止め、望美はそちらを指差した。 「どこですか?」 望美ごしに、弁慶はそちらへと視線を向ける。 「あそこ…です………」 狐が…望美を振り返った。 どこか遠くで、懐かしい…鈴の音が響いたような……気がした。 * * * 「あれ?」 ふと気がつくと、人影が全くなくなっていた。 「うそ…私……迷子になっちゃったの?」 今さっきまで手を繋いでいたはずの弁慶の姿も見えない。 周囲を見渡すと、ずっと遠くまで連なる鳥居。 まるで、赤い迷宮に取り込まれてしまったかのような錯覚に陥ってしまう。 「弁慶さ~ん!」 来た道を戻るように、望美は、鳥居のトンネルを下り始めた。 下手に動いてはいけないかもしれない…… そんな思いも過ぎったが、じっとしていると…何だか得体の知れないモノに捕らわれてしまいそうで、不安だったのだ。 ふ…と、望美は行く先に白い影があるのに気付いた。 「何?」 尖った耳。 ふさふさとした尻尾。 近づいてゆくにつれ、それが、白い狐であることが分かった。 先ほど、鳥居の合間に垣間見た……あの狐だ。 傍に近づいて行っても、狐は逃げ出そうともせず…近づいてくる望美をじっと見つめて座っていた。 「何…してるの?」 すぐ近くまで歩み寄り、望美は、足を止めて狐に問いかけた。 ふぁさ… 太い尻尾を揺らし、狐がゆっくりと立ち上がる。 ふい…と視線を別の方向へ向け、再び向けられた視線に……望美は捕らわれてしまった。 ゆっくりと立ち上がり歩き出す狐に誘われるように、望美はついてゆく。 赤い鳥居の連なる道。 下っているのか、上っているのかも分からない。 音のない世界。 何故だろう…… 自分の足音も聞こえない。 風の音も、声も、何も……聞こえない。 歩いているのか、走っているのか……それすら分からないまま……しばらく狐の後を追って…… 「あれ?」 突然、白狐は足を止めた。 望美を見て、狐は視線を別の方向へと向けた。 つられるように望美も視線をそちらへ移す。 「………?」 老夫婦が、微笑みながらそこへ佇んでいた。 稲を背負った、奇妙な風体の老夫婦だった。 「あの……あなた方は?」 おずおずと声を掛ける、望美。 「あなたが、白龍の神子ね?」 老婆が問うてくる。 「はい……そうでした。」 頷いた望美に、今度は老翁が口を開いた。 「この京を救ってくれたのは、おぬしじゃな?」 「………私…だけじゃないです。」 首を横に振り、望美は答える。 「八葉のみんなや、白龍や、朔――黒龍の神子や、京の…この世界のみんなが頑張ったからです。」 老夫婦は、頷き、また微笑んだ。 「けれど…導いてくれたのは、白龍の神子…あなたでしょう?」 「一度は断たれた龍脈も戻った。おぬしがいたからじゃ。」 「私は……」 思い出してしまう、龍脈が断たれた原因。 「――白龍の神子が京へ留まったと聞き、一度会いたいと思っておったのじゃよ。」 望美の思考は、老翁の言葉で遮られた。 「あ……っ!」 そして、思い出す。 自分が、弁慶とはぐれてしまったことに。 「私……」 「……探しているようだね……」 老婆の言葉に、心が急く。 「無理に連れて来てすまんかったの……」 老翁の声に、傍らで狐が耳をぴんっ、と立てた。 不意に、視界が歪む。 「ありがとう……」 頭に直接響いてくる…声。 次第に、意識に靄がかかってきて…… 目の前にいた、老夫婦の姿は…掻き消えてしまった。 * * * 「望美さんっ!」 「……っ!」 揺さぶられて、望美の意識は現実に引き戻された。 赤い鳥居の森。 ふと顔を上げると、酷く心配そうな顔で…弁慶が覗き込んできていた。 「あ…れ?弁慶…さん……」 「大丈夫ですか?!」 問われて頷く。 「突然消えてしまったから……」 抱きしめられ、望美は鳥居を見上げた。 「心配したんですよ……」 「白い狐に…会いました。」 ぽつり…と望美は呟いた。 「え?」 「稲を背負った…おじいさんとおばあさん……に、会いました。」 「望美さん?」 肩を掴み、弁慶は、様子のおかしい望美の顔を覗き込んだ。 瞳の焦点が合っていない。 「おじいさんとおばあさんが……私に、『京を救ってくれてありがとう』って……」 望美の意識はまだ、どこか夢と現の狭間を彷徨っているようだった。 「望美さん、しっかりしてください。」 軽く頬を叩き、声を掛ける。 「…………」 「あっ!」 そのまま…望美は、弁慶の腕の中で意識を失ってしまった。 * * * 「う…ん……」 目を開くと、日は西に傾き始めていた。 「あ…れ?私……」 「目が覚めましたか?」 優しい声。 そっと肩を抱く腕から伝わってくるぬくもり。 「急に消えてしまったかと思ったら、倒れてしまうから……」 「ごめんなさい…」 望美が意識を失った後、弁慶は参道の途中の少し開けた場所まで移動していた。 端に腰掛け、望美を抱きかかえ…目を覚ますのを待っていたのだ。 「もう大丈夫ですか?」 「はい。」 「何があったか話してくれませんか?」 持ってきていた竹筒の水を飲み、一息ついた望美へと弁慶が問う。 「――気を失う前、狐がどうとか言っていたようですが……」 「……」 ふと黙り込み、望美は少し考え込むような仕草をしてから、ゆっくりと話し出した。 白狐を見かけた途端、鈴の音が聞こえて不思議な場所へ行ってしまったこと。 狐について行ったら、稲を背負った老夫婦が自分のことを待っていたこと。 老夫婦から、京を救ってくれてありがとうと言われたこと。 望美は、信じてもらえないかもしれないと思いながらも、体験したことを全て話した。 「それで、また鈴の音が聞こえたような気がして……気がついたら、弁慶さんのところに戻ってきてたんです。」 話し終えた望美から、弁慶は視線を地面へと移した。 額に手を当てる仕草は、考え込んでいるときの弁慶の癖だ。 「………」 黙り込んでしまった弁慶に、望美は、不安になってしまう。 「夢でも見てたのかもしれない……」 ポツリと呟いた望美へと、弁慶は微笑みを向けた。 「君が出会った老夫婦は、恐らく…この伏見稲荷の神様でしょう。」 「神様?」 首を傾げてしまった望美に、弁慶は説明を始めた。 「稲荷…は稲を荷うと書くでしょう?」 「はい」 「その昔、高名な大師様が出会った稲荷神は、稲を背負った老夫婦だったと伝えられています。そして……」 言いながら振り返った先には、一対の狐。 「稲荷神の使いは狐だとも言われています。最初に君が見た白い狐は稲荷神の使いで、龍神の神子である君を稲荷神の元へ導いたんでしょう…」 「そう……なのかな……」 弁慶の説明に、望美はそっと目を閉じた。 『ありがとう…』 耳の奥に、老夫婦の言葉が残っていた。 「君への感謝を、どうしても伝えたかったんでしょうね。」 優しく微笑みながら、望美の手を取り、弁慶は立ち上がった。 「でも……」 「でも?」 促され、参道へと戻りながら望美は首を傾げる。 見上げた弁慶の顔に浮かぶのは、困ったような表情。 「例え神様であっても、君が勝手に連れて行かれないよう、しっかり捕まえておかないといけませんね。」 「弁慶さん?」 「君は、もう龍神の神子じゃなくて……僕の大事な妻なんですから……」 にっこりと微笑み、歩き出す。 ――弁慶さん、本気だよ…… 弁慶の浮かべる微笑みに、望美はこっそり溜息をついた。 もし、またこんなことがあったら、この人は、相手が神様であろうと、何かとんでもないことをしでかすに違いない…… それほど大切にされていることを幸せに思いながらも、無茶をされては敵わない…と、望美は内心で願うのだった。 ――お願いだから、神様方……もう私のことを黙って連れ出さないで…… 「どうかしましたか?」 弁慶の声で我に返り、望美は慌てて首を横に振った。 「い、いいえ。なんでもないです。」 傾いてゆく陽射しの中、結局、上まで行くことができないままで、来た道を下ってゆく。 今日の不思議な体験を、望美は忘れることはないだろう。 神子として、前ばかり見て走っていたあの頃…… たくさん傷ついて、たくさん傷つけて、失ったものもあった。 その末に辿りついた、この穏やかな日々。 生まれ育った地から遠く離れたこの世界で、何よりも大事に想う人がいて、何よりも大事に想ってくれる人がいる。 そして、自分のやってきたことが、無駄じゃなかったのだと……ありがとう…といってくれる存在がいる。 長い長い階段を降りきった所で、望美は稲荷山を振り返った。 遠くで……微かに狐の鳴く声が聞こえた気がした。 了 PR