春月夜【遙か3/弁望】 2006年11月03日 遙かなる時空の中で3 0 春の京(望美一人称) 一人で福原へ向かうという弁慶。しばらく別行動になることに神子は…… 春月夜 ――今夜は満月なんだ… 寝付けず出た濡れ縁から見上げた空に、真ん丸い月が浮かんでいた。 幾度も跳んだ時空の中から、戻ってきた幾度目かの春の京。 わかっていたことだけど、明日から、しばらく…弁慶さんが福原に行ってしまう…… 「なんだか、ちょっと寂しいなぁ…」 呟いてみると、本当に寂しさが増してしまった。 一緒についていきたい…と思ってしまう心を押さえて、私は、また…弁慶さんを笑顔で送るんだろう。 「どうしたんですか? 春とはいえ、こんな時間にそんなところにいたら…身体を冷やしてしまいますよ」 突然掛けられた声に、私は驚いて振り返った。 「っ!弁慶さん!?」 意外と近くに立っていた思いがけない人物に、一瞬鼓動が跳ね上がる。 そうだ…九郎さんは六条堀川の邸に帰ったけど、弁慶さんはこっちに残ったんだった。 「そんなに驚かせてしまうなんて…すいません。」 慌てて首を横に振る。 「もう、みんな寝てると思ってたから…」 「君こそ…とっくに夢路についていると思っていましたよ。」 弁慶さんが心配そうな顔で私を見る。 「眠れないんですか?」 「気が…昂ぶっているのかもしれません。 白龍の寝息を聞いてたら、目が冴えてきてしまって…」 苦笑して、私は欄干にもたれ掛かるように座った。 「疲れてるはず…なんですけどね…」 「薬湯でもお持ちしましょうか?」 隣に座って、弁慶さんが問う。 私は頭を振った。 「弁慶さんこそ、こんな時間まで…どうしたんですか?」 「僕は、準備や調べ物をしていたら、こんな時間になってしまったんですよ。 少し風に当たってから休もうと思っていたら、君の姿が見えたから…」 「あの…弁慶さん」 「はい?」 「何日くらいで帰ってこられるんですか?」 私の問いに、弁慶さんは驚いて僅かに目を見張った。 「……急にどうしたんですか?」 「ちょっと寂しいなぁ…と思って……」 「嬉しい事を言ってくれますね、君は。」 不意に肩を抱き寄せられ、私は身を強張らせる。 「僕も、できることなら…君と一緒に京の梅や桜を見たいけれど…… そうも言っていられません」 「あ…あのっ」 振り返った弁慶さんの顔は、凄く近くにあった。 「私……」 「?」 不思議そうな弁慶さん 「一緒に行きたい……なんて言ったら、困らせてしまいますよね…」 「……」 突拍子もない言葉に、弁慶さんは私の顔をまじまじと見た。 「邪魔になるって…足手まといになってしまうって、分かってるんです。 でも…私…… 「……」 さらさらと、私の髪に触れながら、弁慶さんは溜息をついた。 「確かに、九郎や景時と違って、君は敵方にも顔を知られていません。 それに……」 「きゃあっ」 言って、いきなり抱きしめられた。 「こんなに可愛いお嬢さんと二人きりで出かけられるのは、嬉しいんですけどね…」 「あ、あのっ」 どぎまぎしてしまって、私は身じろいだ。 「…でも、いけません。危険すぎます。」 耳元で低く告げる声。 「心配してくれるのは嬉しいですが、君を危険な目にあわせるわけにはいきませんからね」 こう言われることは分かっていたはず。 なのに、どうして、言ってしまったんだろう… 「そう…ですよね。ごめんなさい。へんなこと言ってしまって」 俯いた私の肩口からこぼれる髪の一房をかき上げ、弁慶さんの掌が頬に触れた。 「顔を上げて下さい。」 促されて顔を上げると、優しいまなざしで穏やかに微笑む弁慶さんが私を見つめていた。 「何ヶ月も…というわけじゃありません。ほんの数日ですよ。 僕には、僕のやるべきことがある。そして――」 あまりに間近にある顔を直視できず、視線を泳がせながら赤くなった私の頬から離れてゆく温もり。 「君には君のやるべきことがあるのでしょう? 何も言わないけれど、君は…僕たちには分からない何かを決心している…違いますか?」 そう問うてくる弁慶さんの瞳は、何もかも見透かしていそうで……私は、思わず言葉に詰まってしまった。 ――私が、時空を跳んで…運命を上書きし続けていることを、この人は知らないはずなのに……どうして…… 「私……」 そのまま黙って俯いてしまった私の耳に、小さな溜息が聞こえた。 「そんな顔をしないで下さい。僕は君を困らせたいわけじゃないんです。 ――さあ、そろそろ休みましょう。 日が昇れば…僕は福原へ、君は…君と皆は鞍馬へ行かなければいけないんです。 ちゃんと眠っておかないと、鞍馬まで歩くのが辛くなってしまいますよ。」 「…そう、ですよね。」 頷いて、私は顔を上げた。 見上げた弁慶さんの表情は、いつもと変わらぬ穏やかな笑顔。 私の手をとって、立ち上がる。 「きれいな月…ですね。」 「はい」 「君と一緒に見られて嬉しいですよ。」 微笑んで、弁慶さんが手を伸ばす。 「弁慶さん?」 首を傾げる私の頬に触れる指先。 そして…… 「っ!?」 「これは…餞別に……」 囁くような声。 でも、私はどうしたらいいか分からない。 頬に残る、柔らかな感触の名残は……間違いなく…… 「ふふっ。君は可愛いですね。 ――おやすみなさい。」 離れてゆく温もり。 立ち去る足音。 小さくなる背中…… 真っ赤になって固まったまま、私は戻っていく弁慶さんの後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。 ――今のって…今、頬に触れたのって……やっぱり、唇…だよね? 「………っ!」 思い返して、さらに顔に血が上る。 刺激が強すぎるよ~ そのまま欄干にしがみ付くように、私はへたり込んでしまった。 満月が、高い空から見下ろしている。 私は……立ち直れないままで、空を見上げた。 ――ごめん将臣くん、私…今夜は眠れないかもしれない…… 了? PR