月下の夢幻【遙か3/弁望】 2006年11月03日 遙かなる時空の中で3 0 夏の熊野(弁慶モノローグ) 舞い降りた天女が消えてしまわないように…… 月下の夢幻 欠けた月だけが見下ろす河辺。 夏の夜の暑苦しさに、二人、抜け出した森の中。 長い髪を躍らせながら、君の白い素足が、星空を映す水面に波紋を作り出す。 夜の闇の中でも、輝きを失わぬ…君の姿。 僕を手招きして呼ぶ声は、どんな小鳥の囀りよりも愛らしくて… 誘われるままに、差し延べられた手を取る。 冷たい水が、胸の奥で燻る、抱いてはいけない感情を冷ましてゆく。 水しぶきを跳ねさせて舞う姿は、さながら、天女のようで… 羽衣を奪ってしまわなければ、いつか目の前から消えてしまうかもしれない。 不意にこみ上げてくる、そんな不安に胸を締め付けられる。 黙り込んでしまった僕を不思議そうに覗き込んでくる表情は、無邪気で…汚れを知らない。 ――君は、君の羽衣をどこに隠しているんですか? 問い掛ける言葉に、目を丸くして驚く顔が新鮮で…冷めかけていた感情が再び熱をもつ。 髪をひと房手に取って、その先に軽く口づける。 頬を染めて戸惑う君。 ――羽衣を奪ってしまえば、君は僕だけの天女になってくれますか? さらさらと零れ落ちる髪。 見上げてくる、夜空の星より美しい瞳。 仄かに色づいた頬。 花びらのような…唇。 衝動が、感情が、抑えきれないほどに溢れ出す。 足元で、水音が響く。 抱き寄せた肩は細く、頼りない。 戦場で剣を採って戦う姿など、想像できないような…はかなさ。 指に絡む髪を軽く引くと、自然と上がる君の顔。 顎先を捉える指に伝わってくる、微かな震えに気付く。 瞳に不安を滲ませながらも、何もかもを知っているようで…… そんな君から、僕は瞳が離せなくなってしまう。 ――君は、本当にいけない人ですね。 告げる言葉に、君の唇が、何ごとかを紡ぎだそうと開く。 けれど… 唇から言葉が零れだすよりも前に、あまやかな吐息さえも奪ってしまう。 君の声も、君の吐息も…君の全てを僕だけのものにしてしまいたい…… そんな子供じみた独占欲が、止められない。 強く抱き寄せ、離さない。 狂おしいほどに、君を求める。 戸惑いがちに応じる君が愛しくて…… さらさらと流れてゆく川の水音。 どれだけ抱きしめても、足りない。 微かに聞こえる衣擦れの音。 君の髪を乱して、深く…強く…くちづける。 激しく鳴り響く鼓動。 自分のものなのか、君のものなのかも…分からない。 咽の奥から漏れる、君が苦しげに喘ぐ声。 それも、君を欲する気持ちを昂ぶらせる……媚薬にしかならない。 一人で立っていられなくなったのか、徐々に増してくる、寄りかかってくる重み。 それすらも愛しくて…強く……腕の中に抱き込む。 離れては重なる…熱い唇。 止まらない。 止められない。 離れたくない。 離したくない。 このまま…この瞬間が永遠に続けば……いいのに 咎人が抱くには、あまりにも罪深すぎる、願い。 息をつく間もないくちづけの合間に、微かに届く…声。 一言――苦しい――と。 不意に、現実へと意識が戻ってくる。 自分が犯した過ちに……気付く。 触れてはならない、誰よりも清らかな人なのに…… 涙で潤んだ瞳。 上気した頬。 濡れた唇。 肩を、胸を、激しく上下させて、君は身体を僕に預けてくる。 抱きとめて、髪を、背を撫でる。 自らの過ちを懺悔する僕に囁くように伝えられたのは、思いがけない言葉。 謝らないで…と囁いた君は、あまりにも美しすぎて… 嬉しい…と頬を染めた君に、悦びを感じてしまって… もう少しこのままで…と微笑んだ君が、何よりも愛しくて… 僕は、もう一度強く…抱きしめる。 さらさらと、上弦の月が零す月光の下で、一つの影となり佇む。 君を哀しいほどに愛しいと感じてしまう。 届いてはいけない、抱いてはいけない…応えてはいけない感情。 夜が明ければ、陽光の下で並び立つことのない月光のように、儚く消えてしまう…夢幻 そろそろ、帰らないと… どちらからともなく促す、家路。 今宵の出来事は、胸のうちに留めておこう。 朝日と共に、儚く消えてゆくであろう……幻だから PR