春の兆し【遙か1/鷹あか】 2007年09月06日 遙かなる時空の中でシリーズ 0 京ED後 ふと薫ってきた花の香に誘われて… 春の兆し まだ、春というには冷たい風が吹いてはいるが、天空に太陽のある時間が長くなったことが、季節が移ろっている証拠だろう。 仕事を終え、鷹通は藤姫の館へと向かっていた。 道すがら、思い出すのは、ほんの一年前のこと。 自分の訪ないを心待ちにしているであろう少女と出会った日のこと。 ――あれから一年が経って…彼の人はこの地に留まった。 「神子様、鷹通殿がお越しですわ。」 先に立って部屋へと入っていった藤姫が、間をおかずして、慌てたように飛び出してきた。 「どうかされましたか?藤姫。」 「神子様が、いらっしゃらないのです。」 ほんの少し前までは部屋の中で、何やら物語を読んでいたらしいのだが… 「もしかすると、庭に出ていらっしゃるのかもしれません。」 藤姫を宥め、鷹通は庭へと降りた。 「そう…ですわね……」 頷き、藤姫は微笑みを浮かべた。 「私、つい取り乱してしまって…」 「すぐ、お一人で出歩かれますからね…藤姫も気苦労が耐えないでしょう?」 「本当に……」 くすくすと笑い、藤姫は暮れかけた庭へと視線を向けた。 「――春とは言うものの、まだ宵は寒うございます……」 「心得ておりますよ。」 自室へと帰ってゆく藤姫を見送り、鷹通は彼の人の姿を求め庭へと視線をめぐらせた。 「これは…」 不意に鼻を掠める甘い香り。 誘われるように、鷹通は薄暗くなり始めた庭を歩く。 一際香りが強く感じられる場所。 視線を向けると…… 見慣れた後ろ姿が、そこに佇んでいた。 「こんなところにおられたのですね。」 「鷹通さんっ!」 掛けられた声に驚いて振り返る少女。 「何をしておられたんですか?」 「花を探してたんです。」 「花?」 「さっきまで本を読んでいたんですけど……」 真剣な顔つきで、これまでの経緯を話し始める。 「ふわっ…て、吹いてきた風に凄くいい香りが混じっていて、それで…」 「それで、どこから匂ってきたのかを探していたのですか?」 言葉を継ぐように鷹通から問われ、楽しそうに頷くのを微笑みながら見つめる。 「はい、そうなんです。」 見ているうちに、くるくると変わる表情。 出会った頃から変わらない、強い好奇心。 「それで、ここまで来ちゃったんだけど…」 と、この好奇心旺盛な少女は、目の前の植え込みへと視線を向けた。 「鷹通さん、この花の名前、知ってます?」 「これは、沈丁花…ですね。」 告げられた花の名に、嬉しそうな表情を満面に浮かべて、細い指先で小さな花の塊をつついた。 「可愛い花ですね。」 変わってゆく表情を見るたびに、声を聞くたびに、愛しい気持ちが増してゆく。 深く漂う、沈丁花の香に眩暈を起こしそうになって… 「春の宵は冷えます…そろそろ、部屋へ戻りませんか?」 そっと、その細い肩を抱き寄せる。 「……はい」 向けられた微笑みと、抱き寄せる腕から伝わってくるぬくもりに…微かに頬を朱に染めた。 甘く深い花の香に包まれた夜は、ゆっくりと過ぎていった。 了 PR